これから求められるのは「画像処理」に強い人と聞いたのですが先生の考えを教えてください。

「実際、臨床というのは何に強いというのは特別無いかもしれません。それがあったら、ゼミに例えると、『いるゼミ』と『いらないゼミ』になってしまいます。そういうことではなくて、臨床の畑にいる僕たちが言えることですが学生はできる限りいろんな情報を収集してきてくれると良いと思います。

そこで『自分は何が好きか』でゼミを選び、学校を卒業して、社会に出てきたときにそのゼミで培ってやってきたことが現場で必ず生きてきます。

例えば臨床系のことを一生懸命やってきたゼミだったら臨床がある程度最初に強い人になります。だけどもとらえ方を間違えてはいけませんが、臨床というのは現場にいればいくらでも勉強でき、好きなだけ勉強できます。それに対し、画像系を好きなだけ勉強できるかといえばできません。

なぜかというと残念ながら今、僕たちの世代やもう少し若い世代は学校で『画像系の勉強を充分しているか』といえばしていないからで『していない』ということは卒業して出てきた新人スタッフに残念ながら教えることができません。そうなると臨床はいくらでも教えてあげられるが、画像系は教えられないということが起きてきます。

だから僕は42.43歳の時に駒澤大学で近藤先生にお世話になって、画像系をみっちり勉強させていただきました。昭和大学は、画像系が弱いと思ったので自分がいって率先して勉強してきました。だからといって何がどうなるということではないですが、画像系のゼミに入ることはみんなにとってもいずれ幸せなことになるんではないかと思います。

今、昭和大学には近藤先生のゼミから複数名就職していますが、そのスタッフたちは画像に対しての見方が強いので画像系に関しては、彼らがリードしてくれれば良いなと思います。このように、今までの先輩方がどういう教育を受けてきたかというのも大きな所です。私も60歳までのあと10年間で画像に強い人が出てきてくれれば現場としてもありがたいです。」

 

初めて患者さんを撮影したとき緊張しましたか。

「緊張しましたね。まだ覚えています。胸部撮影でしたが自分のやっていることがわからなくなってきてトンチンカンになった覚えがあります。『失敗しちゃうんではないか?』がすごく気になって、なかなか患者さんから離れられなくて、先輩にいいからこっち来いよと指示をされて、撮影をしたら大丈夫だったという経験があります。

診療放射線技師になって、記事に書けるかどうかわからないけど、実はこういう経験をしています。なぜ僕が血管撮影を好きになったかという話です。

昭和大学病院で働き始めて3年目に、1回目の血管撮影室のローテーションで回ってきました。その時の印象は今でも忘れません。血管撮影検査では、X線装置のシャッターを押すと造影剤注入器から自分がセットした造影剤が、体に注入されますが、その時の造影剤注入器の音が“ウィーン”とすごい音を立てながら造影剤が体に入っていくのが怖かったです。自分が設定する造影剤注量が間違えると患者さんに大きな危害を負わせてしまうという背中合わせの業務につかせて頂くとき血管撮影に入ったときに非常に怖くなりました。

また、当時言われたことができないと医師はがんがん怒るので、怒られないようにするのを目的に、先生が使う道具をセットしたりしていました。道具をセットしておけば、『ああ、こういう子なんだ』、『優しい子なんだ』と思われ、『失敗しても怒られないんじゃないか』という、甘いことを今考えて業務に当たり1クール目は終わりました。

2クール目になり、いよいよ自分が主とするモダリティーを選択するかになったときに絶対逃げたくない、人生で血管撮影室から逃げたら、もう診療放射線技師としてもうだめなんじゃないかと思い、血管撮影を選びましたが怖くて、怖くてしょうがなかったです。その時の上司が今の統括部長で、僕の師匠さんなのですが、かわいがってもらいました。さて、血管撮影のスタッフになりましたというときに、1クール目に甘い考えを持って業務に向き合っていた人はやっぱり痛い目にあうんです。

どういうことかというと、心臓カテーテル検査に自分がついたときに装置が止まってしまったんです。X線透視の装置のX線が出なくなってしまったんです。先生に『僕ちゃん、僕ちゃん早く透視をだせ。出してくれ頼むよ。』と言われたんです。結局機械が壊れてしまい、そのまま検査が終了しました。その際、感じたことは、自分のせいで患者に多大なる迷惑をかけてしまったと思い、深く反省しました。

それから絶対に診療放射線技師の本物になってやろうと心に誓い、何があっても自分のことより人のことと思いだしてやっています。

だから絶対逃げない人になってねというのもそうですし、何か辛いことがあったら立ち向かっていける勇気と自信を持ってもらいたいというのもありますし、自分が目指すものは本物になるべきだと思います。人のために尽くすことはそういう経験をすることができたからかもしれませんね。未だに『僕ちゃん早くどうにかしてくれよ。』と言う先生の声が耳に残っています。だから僕は血管撮影に行ったときかなり厳しい先輩だったと思います。」

 

昭和大学病院 技師長 佐藤久弥氏 後編①へ