「本日は、お忙しい中、ありがとうございます」

はじめに、東京臨海病院はどのような病院か?特徴や規模など教えてください。

東京臨海病院は、平成14年4月に開設した病床数400床の急性期総合病院で、ICUを併設して高度急性期医療も行っています。診療科は26科と健康医学センターを併設し、人間ドック・健康診断等も行っています。設立母体が日本私立学校振興・共済事業団なので、私学の教職員およびその家族はもちろん、江戸川区における地域医療に貢献しています。また大災害が発生した場合は、地域の災害指定病院として、地区医師会と協力し対応します。新型インフルエンザが蔓延した場合は、診療拠点として、ドライブスルー診療なども行える訓練などもしています。

藤井さんの子供のころから、現在までにご経歴を教えていただけませんか?

うちの父は結構厳しい人なうえに私は一人っ子だったので「何か資格を持って一人で生きていきなさい」といわれて育てられてきました。高校進学時に成績が悪かったら「高校入れないなら女工やれ!」と言われました。そのころ「ああ野麦峠」とか「女工哀史」など過酷な女工さんの映画が流行っていて、それを見て「こんなの無理!」と思って急いで勉強したおかげで、普通の進学校に入れましたが、それから先はまた低空飛行だったし、大学行く気もなく、あんまり将来に対して何の希望もなくすごしていましたね。(笑)

高校生の時に飼っていた猫が、忘れもしない高校3年の12月23日に獣医さんの誤診のせいで死んでしまったのね。それですごく「ムッ」ときて、獣医になろうと思い立って勉強を始めたの。けれど1か月の付け焼刃の勉強だったので獣医大は落ちてしまい、行くとこもなくて取りあえずという感じで栄養士の学校に入学しました。そのころの栄養士の仕事は、今と違ってあまり魅力的に思えなくって、半年で学校をやめてしまいアルバイトしながらどうしようかな・・・・と。そんな時に本屋で立ち読みした『蛍雪時代(受験情報誌)』に駒澤の二次募集の記事が出ていて、「これって国公立大学の滑り止めに使える!」と思って受けてみたら合格できて今に至るわけです。

はじめから診療放射線技師になろうとか、医療に尽くすなんていう将来への夢があったわけではなく、その当時「男女雇用機会均等法」がなかったため、女性の社会進出やお給料は男性に比べてとても低かったのね。「男性と同じ資格を持てれば、お給料はいいかな」と思って決めたのですよ(笑)。

せっかく駒澤大学に入学できたけれど、授業をさぼって駒沢公園でテニスしたり、近くの小洒落た喫茶店でお茶(ビール??)したりと全然だめな生徒だった。ある先生には「死んだ魚の目をしている」といわれてました。

2年になって病院実習に行って、患者さんと接するようになってからだんだん面白くなってきて、実習先の技師長がすごく良い方で楽しく実習できたこともありますが、3年生の時に実習中に出会った水頭症の女の子に懐かれて、検査の時にお話ししたり手を握られたりすることがあって、「人のために尽くす」ことや「医療に身を置く」ことを考えたり、実感してから、ちゃんと技師の勉強をしようと決意をしたわけです。

なので、学生の皆さんには、早く現場を知ってもらってどんな技師になりたいか、必要とされる医療人とは何かを考えて勉強してほしいと思っているし、そのお手伝いをしていきたいと思っています。

話は戻りますが、3年生になって入学以来今までずっと成績が悪かったのですが、7月の国家試験模試の成績が良かった時に、ある先生にそれまで『君なんか駄目だよ。』とか言われていたのが、この時は手の平を返したように『君は優秀になったから、補修でみんなに教えくれてよ』って言われて、それでいい気になって頑張り続けて国家試験も無事合格しました。どうもおだてりゃ空を飛ぶ的な人間みたいですよ。

 

 

 

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