学生時代はどんな部活に所属していましたか?
バトミントンと卓球とソフトボール部、それと友達同士でバンドをやっていました。
レベッカを演奏したりして、担当の楽器はギターでした。
学生時代に勉強以外でやっていてよかったことは何ですか?
友達付き合いかな。人との接し方も勉強になるし。時代柄、先生と飲みに行く事もあったし。
先生の部屋に質問に行くと、「じゃあ缶ビールを一本飲んだら質問していい。」とかいう先生もいたよ(笑)
実験実習が終わると非常勤の先生と研究室で飲んだり、そういう付き合いで、今では某大学の教授をやっている先生ともつながれたりするよ。非常勤の先生は社会に出ると有名な先生だったりするからね。
花見のシーズンにはみんなで出かけておでんを作ったり、社会人になっても花見の
シーズンはみんなで一緒に飲んだりしたよ。いろいろな診療科の先生たちとね。
学生時代にやっておくべきことは?
社会経験かな。アルバイトもそうだし、病院見学なんかもね。僕はコンビニでアルバイトをしていたよ。
あとは、ボランティアで喘息の子どもたちが転地療養するのに付き添っていって、一緒に遊んだりもしたよ。夜に発作を起こした子の面倒をみたり、その時についてくるお医者さんや看護師さんと話をしたり。子どもの指導をする勉強会にも行ったよ。
そうすると学生時代は小児病院での勤務を希望していたのですか?
そうです。でも小児病院は基本的に公立しかないからね。たまたま知り合いの方がいた小児病院を見学させてもらったら行きたいという気持ちが強くなって、神奈川と東京の試験を受けて東京の試験に合格したんだよ。
それで配属されたのが墨東病院だったんだ。希望通りにはなかなかいかないからね。結局あまり子どもとは関わらなかったね。
でも病院の中の小児科や新生児科で撮影することはあったよ。新生児では川崎病やファローという心臓に穴が開いたままの病気の子どもたちを撮影していたよ。
子どもの撮影では親に押さえていてもらうことが多くて、そうすると被ばくが怖くて嫌ですっていう人とかいろんな人がいたよ。日本は被爆国だからね…やっぱりそういうイメージがね。最近では文科省が資料を作ったりしていろいろな取り組みがされているけど、まだまだかな。どうしても原発のことばかりで、医療被ばくのことはあまり触れていないからね。医療被ばくはその代わりに画像診断が出来るというメリットがあることだから。
親に説明するのにもすぐに理解してくれる人もいれば、なかなかわかってくれない人もいて、最近ではリスクコミュニケーションというのも出てきたからそういうのを勉強しに行くのもいいかもね。
根岸先生は福島の原発に見学へ行かれたと聞きましたが、どのようなきっかけですか?
一番初めは国立大学病院機構の技師長会の方に話が来て、国立病院機構の部長の技師長さんたちと一緒に行ったよ。
2回目は自分から日本放射線技術学会の放射線防護部会に提案して、そのメンバーといったよ。そこでは放射線に対してどのような対応を行っているかとか、線量を測定したりしたよ。線量計をもっていきたいところだけど、入り口で全部取り上げられちゃうからね。すごく厳重なんだよ。被ばく量は滞在一時間で0.1 μSv/hくらいだから大した量ではなかったよ。ずっと作業していると積算されていってしまうけどね。